昔の話でも その1
宇垣はもともと田中の推薦によって陸相になったのであり、田中に情誼を感じていました。
田中が政友会総裁になったとき、これを貴族院の勅選議員に推したのも宇垣であったし、若槻内閣の末期には、幣原外交を強く批判し、内閣の崩壊を促進したのも宇垣だったといわれています。
しかしその宇垣も、二年(一九二七)十二月、田中が山梨を朝鮮総督にしたときには、自分がこのポストに色気があっただけに大いに憤慨している。
「田中氏より余の多年蒙りたる情誼に対しては田中―上原の抗争、機密費問題に対する余の態度、彼れを勅選議員に推挙したる事柄等のみにても直接間接に軍人仲間の面目とも考へて、彼れを政府の首班たらしむるべく努力したる事によりて大体相互間の清算は完~したりと考へても、敢て世間の云ふ所の人情に悼りたることにもなるまい」(『宇垣日記』)といっているあたりには、宇垣の役割がよくしめされているし、田中の機密費問題も、田中のほうにじゅうぶん落度のあったことがうかがわれます。